

東京裁判史観は米国人のためにも克服されなくてはなりません。札幌学派が提唱している解放戦勝史観(アジア解放論)に依って立つと新たな歴史風景が見えてきます。
それは「原爆投下が朝鮮戦争・ベトナム戦争を誘発した」ということです。昭和超帝が終戦の御聖断を下された直接的原因は米国による原爆投下です。核戦争を続けるならば、人類文明は滅亡すると陛下は終戦の詔勅において述べられています。この御聖断は結果的に白人と有色人種の両方を救ったことになるのです。
終戦時、日本軍は一部の南洋諸島を失ってはいたものの、シナ大陸、東南アジア、満州、千島、樺太、台湾、朝鮮半島の殆どを確保し、決戦場となるはずであった本土決戦も行われていませんでした。負けてはいなかったということです。
昭和超帝は核戦争を回避し、核兵器を使えない兵器とするため、負けてもいない戦争を負けたこととして終戦を決断され、占領地の日本軍に対し武器を置くよう命じました。その結果、満州国は崩壊しシナ全土が共産化しました。そして、満州、シナ大陸の共産化は後に朝鮮戦争とベトナム戦争を誘発させる要因となります。共産中国は朝鮮戦争では共産軍の主力となり、ベトナム戦争では北ベトナム軍の後方支援を担い、戦争の泥沼化に寄与しました。その結果、米軍はベトナムで敗退するのです。
原爆投下が無ければ昭和陛下は終戦を決断しなかったでしょう。そうなると、米軍は勝利を得るためには、日本本土上陸作戦を決行せざるを得なくなるわけなのですが、当時の米軍は作戦計画(オリンピア、コロネットの両作戦)を立てたものの、作戦の実行には躊躇していました。何故なら、日本列島全体が3300万人の日本人ゲリラが待ち構える”巨大なるイオージマ”と化すことは明白であり、米軍側戦死者数は100万以上に昇ると試算されていたからです。
結局、原爆使用がなければ、頑迷なる日本軍の抵抗の前に、米軍による日本本土上陸作戦は実行されず、あるいは実行されても失敗に終わり、結果和平に至ったでしょう。その場合、少なくともシナ大陸の共産化は防げたはずなのです。
原爆投下が、日本軍の一方的な引き上げ、シナ大陸の共産化、朝鮮戦争の勃発、ベトナム戦争の泥沼化を生んだのです。
広島長崎の原爆投下による直接的犠牲者は20万人と言われています。一方、朝鮮戦争、ベトナム戦争による米軍側戦死者は両戦争併せて約10万人に昇ります。負傷者はその数倍に達するでしょう。これは因果応報と言わざるを得ないものです。
米国反日白人は「広島長崎への原爆投下で日本軍国主義に勝利した、パールハーバーの仇を取ってやった」などと大喜びしていますが、その原爆投下が後に10万もの米兵の命を奪い、数十万を不具に追いやったことを未だ知らないのです。
嘘の歴史観は未来に大きな禍根を残すことになりますし、よき未来の為の足かせとも言えるでしょう。東京裁判史観は米国人のためにも克服されなくてはならないのです。