

この状況を大東亜共栄圏と言わずして何というのか
日教組の東京裁判史観で歴史教育を受けてきた人ならまだしも、未だにアジア諸国は戦後になって独立したと信じ込まされている保守市民の方々が多いことに危機感を感じざるを得ません。
アジア諸国が独立したのは開戦中なのです。決して戦後ではありません。
駐留日本軍により下記の国々が開戦中に独立ないし独立宣言を行いました。
保守市民の方々は札幌学派との出会いを機会に、これらの事実を記憶に留めて頂けることを期待します。
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ミャンマー 1943年8月1日 首班はバー・モウ
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フィリピン第2共和国 1943年10月14日 首班はホセ・ラウレル
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自由インド仮政府 1943年10月24日 首班はチャンドラ・ボース
(日本政府はインド洋のアンダマン・ニコバル諸島を自由インド仮政府の領土として付与した)
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ベトナム帝国 1945年3月9日 首班はバオ・ダイ帝
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カンボジア王国 1945年3月12日 首班はノロドム・シアヌーク国王
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ラオス王国 1945年4月8日 首班はシーサワーン・ウオン国王
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独立宣言 インドネシア共和国 1945年8月17日 首班はスカルノ
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戦後に行われたベトナム、インドネシアの独立戦争は日本軍から戦中に与えられた独立 を維持するための「独立維持戦争」です。
独立維持戦争がなかった国の戦後の独立は、旧宗主国が戦中の独立を軍事力で取り消させることが出来ず、やむなく日本による戦中の独立をしぶしぶ追認せざるを得なかったものなのです。
インドネシアに限って言えば日本は開戦目的であったアジアの解放を降伏文書調印後にも達成してしまったのです。
大東亜戦争中から戦後にかけて次々とアジア各国が独立を果たしていきました。
独立を果たすという事は
・植民地支配からの解放
・奴隷制度の廃止
・人種平等の実現
・大東亜共和圏の雛形の完成
・白人欧米列強によるブロック経済の崩壊
へと繋がりました。
これらの成果は戦時中のみならず戦前からの活動、戦後の残留日本兵義勇軍の活躍の賜物なのです。
戦後日本が高度経済成長を遂げられたのは、白人欧米列強から解放されたアジア各国と自由に貿易を行い、様々な資源が日本に入ってくるようになり、そしてその資源を日本で加工、製品化して再びアジア各国へ輸出できるようになったからです。正しく大東亜共栄圏の確立と言えるでしょう。
また、日本が大東亜戦争を戦わなければ、めぐりめぐって黒人のオバマ大統領が誕生することも無かったでしょうし、ヨーロッパ諸国はEUという連合体になる必要も無かったでしょう。(ヨーロッパ各国は植民地が無くなったため、一国では経済的に立ち行かなくなり、連合を組まざるを得なくなった)
冒頭で紹介した『帝国政府声明文』にはこう明記されています。 「英米の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に戻し、相携えて共栄の楽を分かたんと祈念する」
訳しますと
「米英を駆逐し植民地になる前のアジア、すなわち独立したアジアへ戻し、大東亜共栄圏を構築する」という意味です。
大日本帝国は見事に開戦目的を達成したのです。
アジアを欧米列強の植民地支配から救う為、自存自衛の為に国家一丸となって特攻の如く白人欧米列強という悪に勇敢に立ち向かい、見事に勝利したのです。
我々日本人の体にはこのような崇高な戦いをした先人の血が流れているのです。どれほど誇り高い事でしょう。自分の内なる声に耳を澄ませば、流れている血潮にこの栄光のDNAがあることに気付く事が出来るでしょう。
一人でも多くの日本国民の方々が、一日でも早くこの歴史の事実を知ってほしいと心から願ってやみません。
※アジア解放に関しての詳しい研究は安濃豊著書「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった:帝国政府声明の発掘」と「アジアを解放した大東亜戦争:連合軍は東亜大陸では惨敗していた」に詳しくあります。